詩篇18篇

指揮者のために。主のしもべダビデによる。主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った。

 この歌は、敵からの救いのときに歌われた歌です。同じ歌は、サムエル第二22章に記されています。サウルから救われたことが中心ですが、異邦人との戦いについても触れられています。

  全体の主題は、主が契約を果たして、ダビデを救い、栄光を現されたことへの賛美です。

▪️主への賛美

18:1 彼は言った。わが力なる主よ。私はあなたを慕います。

 彼は、主の力を頼りとし、慕っていました。

18:2 主はわが巌わが砦わが救い主身を避けるわが岩わが神。わが盾わが救いの角わがやぐら。

 戦いの中で、その守りと、救いは、主による以外ありませんでした。その中で救われたという経験を通して、主の力と救いを歌いました。

 ここでの救いは、信仰によって歩むものに、主が応えられたことです。

18:3 ほめたたえられる方。この主を呼び求めると私は敵から救われる。

 主は、大いに褒め称えられる方です。私は、呼び求める。主は、敵対するものから救われる。

・「ほめたたえられる方」→動詞、分詞、強意語幹、受動態。

▪️ダビデの受けた苦しみについて。霊的な面からダビデは記しています。

18:4 死の綱は私を取り巻き滅びの激流は私をおびえさせた。

 死の綱が取り囲むことは、死に捕らわれそうな状態を表現しています。彼を襲う激流としての試みは、悪霊によるものでした。

 この死は、神の前につまずく詩を表しています。三十二節にあるように、「私の道を全きものとされます。」と言い表しているように、彼の信仰の歩みを守る方として覚えているのです。主の言葉に従い、主の目に適って歩む者に対して、主が契約を果たされることを覚えて、信仰の歩みをすることができるようにしてくださるのです。

 彼は、単に戦いに追いて、自分の肉体の死からの救いと戦いの勝利を求めていたわけではありません。

・「滅び」→ベリアルすなわち悪霊のかしら。価値が無いという意味。

18:5 よみの綱は私を取り囲み死の罠は私に立ち向かった。

 よみに捕らわれそうなのです。死の罠に落ち、死にそうなのです。これも比喩で、神の前につまずくことがよみであり死なのです。そのような中で、彼は、主に信頼し、主の言葉の中に生きることを求めていました。

・「立ち向かった」→動詞、強意語幹。立ちはだかった。

18:6 私は苦しみの中で主を呼び求めわが神に叫び求めた。主はその宮で私の声を聞かれ御前への叫びは御耳に届いた。

 彼の呼び求めに対して、主は、その宮で声を聞かれました。この地に臨在される方として、地のものに目を留め、応えられるのです。ダビデは、主を呼び求めるものに応えてくださることを信じて祈ったのです。

▪️主が助けを賜るときなされる主の力の偉大さ。

 人の目に知り得ない出来事が記されています。主が契約を果たすとき、全能の力をもって徹底的に果たされるのです。

18:7 地は揺るぎ動いた。山々の基も震え揺れた。主がお怒りになったからだ。

 主が怒られて応えられました。その様子は、凄まじいものとして記されています。地が揺るぎ動きました。

 これは、比喩で、主の怒りの前に、地であっても揺れ動き、立ち仰せないことを表しています。

18:8 煙は鼻から立ち上りその口から出る火は貪り食い炭火は主から燃え上がった。

 煙は、主のさばきを表しています。鼻は、息の出入りするところで霊の働きを表していますが、主は、すでに判決を下し、その教えによってさばきを下されるのです。

 火は、評価を表しますが、口から出される火として裁きを表します。口から出る言葉によって裁かれるのです。

 炭火は、敵への復讐として積まれるのです。

18:9 主は天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。

 主は、天から降りて来られる方であり、その偉大さが示されています。

18:10 主はケルビムに乗って飛び風の翼で天翔られた。

 主は、ケルビムを支配下に置き、天翔られる方です。この方が天に属する方として、この地を裁くことが示されています。

18:11 主は闇を隠れ家とし水の暗闇濃い雲をご自分の周りで仮庵とされた。

 主は、その姿を暗闇で隠しておられます。

18:12 御前の輝きから密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と燃える炭。

 しかし、主が御自分を現されるとき、雹と燃える炭として降り注がれました。

 雹は、高慢を打ち砕くことを表しています。燃える炭は、人への評価であり、敵対者に対する復讐のためです。

18:13 主は天に雷鳴を響かせいと高き方は御声を発せられた。雹そして燃える炭。

 そして、雷鳴が轟きました。それはいと高き方の声です。それは、御言葉による判定の声です。

18:14 主はご自分の矢を放って彼らを散らしすさまじい稲妻を放ってかき乱された。

 ご自分の矢を放たれます。また、凄まじい稲妻を放たれます。

 矢は、御言葉の比喩で、内にある悪を貫きます。凄まじい稲妻は、主の光すなわち御言葉の比喩で、これをもって評価されます。

18:15 こうして水の底が現れ地の基があらわにされた。主よあなたのとがめによりあなたの鼻の荒い息吹によって。

 主が咎められると水の底さえ露わにされます。鼻の荒い息吹は、主が霊によって事をなすことの比喩です。

18:16 主はいと高き所から御手を伸ばして私を捕らえ大水から私を引き上げられました。

 主が大水から助け出されるとき、いと高き所から御手を伸ばされたのです。天からの権威と力によります。

18:17 主は力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らが私より強かったからです。

 主は、力ある敵から救い出されました。また、憎む者からも救い出されました。理由として示されていることは、彼らがダビデよりも強かったからです。そのように、遥かに強い者から助け出すことで、主の栄光が現されるのです。

18:18 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども主は私の支えとなられました。

 彼らは、立ちはだかったのです。その時、主は、彼の支えとなられました。

・「立ちはだかった」→動詞、強意語幹。五節の「立ち向かった」と同じ語です。

18:19 主は私を広いところに導き出し私を助け出してくださいました。主が私を喜びとされたからです。

 主が彼をこのように助け出したのは、主が彼を喜びとしたからです。

 広いところは、束縛のないことを表しています。敵の束縛から解放されるのです。

ヨブ記

36:16 神はまた、あなたを苦難の中から誘い出し、束縛のない広いところに導かれる。豊かな食物が備えられた、食卓での安らぎに。

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・「広いところ」→束縛のない状態。

▪️ダビデの正しさ。

 二十五節に記されているように、主のこの業は、契約を果たすこととして行われるのです。契約に対して誠実なものに対して、契約を果たされるからです。

18:20 主は私の義にしたがって私に報い手のきよさにしたがって顧みてくださいました。

 主の助けは、彼の義に対する報いです。手のきよさがあったので、喜んで助けたのです。

18:21 私は主の道を守り私の神に対して悪を行いませんでした。

 彼は、主の道を守り、主に対して、悪を行わなかったのです。

18:22 主のすべてのさばきは私の前にあり主のおきてを私は遠ざけませんでした。

 主の全ての裁きが目の前にあったことは、主の善悪に対する評決をいつでも覚えていたことです。自分の行為が評価されるのか、退けられるのかいつでも意識していました。それで、主の掟を遠ざけず、いつでもそれを覚え、守ったのです。

18:23 私は主の前に全き者。自分の咎から身を守ります。

 彼は、主の前に全き者として歩みました。咎を犯さないように身を守りました。

18:24 主は私の義にしたがって顧みてくださいました。御目の前のこの手のきよさにしたがって。

 主は、彼の義に従って顧みてくださいます。御目の前の彼の手のきよさは、主の評価によるきよさのことです。

▪️主がこの救いの業をなす根拠が示されています。

18:25 あなたは恵み深い者には恵み深く全き者には全き方。

 契約に対して誠実な者に対して、忠誠をもって契約を果たされます。全き者とは、御心を行うことで全きことです。それに対して、神の御心として示した契約による祝福を果たされます。

・「恵み深い」→「恵みを施す」と同根で、契約に対する忠誠を意味します。

18:26 清い者には清く曲がった者にはねじ曲げる方。

 清いすなわち混じりけないものには、混じりけなく約束どおりに事をなします。

 曲がった者は、御言葉をそのまま信じるのではなく、曲げるのです。そこからそれて行動するのです。良いものを与えないで、悪いものを与えます。

18:27 (それで)まことにあなたは苦しむ民を救い高ぶる目を低くされます。

 謙る者と高ぶる者が対比されています。高ぶるものについては、「目」と記されていて、神の御言葉を受け入れる信仰の比喩となっています。高ぶりの本質は、御言葉に対する高ぶりです。謙る者は、御言葉の前に謙る者であり、神言葉を受け入れ従う者です。

・「苦しむ」→謙る。あるいは貧しい。

18:28 (なぜならば)まことにあなたは私のともしびをともされます。私の神主は私の闇を照らされます。

 この灯火は、神の言葉です。それは、彼の闇を照らされます。

18:29 (それで)あなたによって私は防塞を突き破り私の神によって城壁を跳び越えます。

 その言葉によって従って生きる時、防塞を突き破り、城壁を飛び越えることができます。主がそうさせてくださるのです。それは、人の思いを超えた力です。

▪️主が契約を果たすことの根拠は、御言葉によります。

18:30 神その道は完全。主のことばは純粋。主はすべて主に身を避ける者の盾。

 その道とは、歩むべき道の教えです。それは、完全です。欠けのない、ほころびのないものです。その言葉は、純粋で混じりけがないのです。それで、主は、全て主に身を避ける者の盾なのです。

▪️ダビデになされた実際の御業。霊的な歩みを強めること、また、戦いでの力を与えることです。

18:31 主のほかにだれが神でしょうか。私たちの神を除いてだれが岩でしょうか。

18:32 神は私に力を帯びさせ私の道を全きものとされます。

 神のは、力を帯びさせます。それは、彼の道を全きものとするためです。彼が求めていたことは、全き道を歩むことです。敵対者の中に置かれる時、彼が求めたことは、主の前に御心に適って生きることです。単に、死からの解放や、戦いの勝利を求めていたのではありません。

18:33 主は私の足を雌鹿のようにし高い所に立たせてくださいます。

 彼の足は、この世とは分離した高い所に立たせられます。

18:34 戦いのために私の手を鍛え腕が青銅の弓も引けるようにしてくださいます。

 さらに、戦いのために鍛えてくださいます。彼がこのような経験をしたのは、彼を鍛えるためです。どのような状況の中でも、信仰によって歩むことを堅くするためです。

 私たちも、試みを経験するのは、信仰によって歩むことを学ぶためです。主は、そのような試みを備え、鍛錬されます。人は、恐れや、苦しみからの解放を求め、問題の解決を願います。しかし、ダビデのように、信仰によって歩み、主の前に全き者として歩むことを求めるのです。そこに主の栄光を見ます。

18:35 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの右の手は私を支えあなたの謙遜は私を大きくします。

 そして、御救いをくださいます。神の力強い右手で、彼を支えます。そのように、力ある方が一人の者に目を注ぎ力を現すことは、神様にとっては大きな謙遜です。そのことが、彼を高く引き上げます。

18:36 あなたは私の歩みを大きくし私のくるぶしはゆるみません。

 その歩みは、大きくされます。力強い歩みを表現しています。くるぶしが緩まないこともそうです。

18:37 私は敵を追ってこれに追いつき絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。

18:38 私が彼らを打ち砕いたので彼らは立てず私の足もとに倒れました。

 敵との戦いで、敵を追いかけ追いつきたち滅ぼしました。彼らを打ち砕きました。

18:39 あなたは戦いのために私に力を帯びさせ向かい立つ者を私のもとにひれ伏させました。

18:40 あなたは敵が私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。

 戦いにおいて、敵を滅ぼしました。

18:41 彼らが主に叫び求めても救う者はなく答えもありませんでした。

 彼らが主に叫び求めても救う者はなく、答えもありません。彼らが主に従っていないからです。

18:42 風の前のちりのように私は彼らを粉々に砕き道の泥のように除き去りました。

 彼は、敵を粉々に砕いたのです。

18:43 あなたは民の争いから私を助け出し国々のかしらに任じられました。私の知らなかった民が私に仕えます。

18:44 彼らは耳で聞くとすぐ私に聞き従います。異国の人々は私にへつらいます。

 異国の人々も彼に仕えます。

18:45 異国の人々は打ちしおれ砦から震えて出て来ます。

18:46 主は生きておられる。ほむべきかなわが岩。あがむべきかなわが救いの神。

18:47 この神は私のために復讐する方。諸国の民を私のもとに従わせてくださる。

 神は、諸国の民も従うようにされます。

18:48 神は敵から私を助け出される方。実にあなたは向かい立つ者から私を引き上げ不法を行う者から救い出してくださいます。

 このように、主は救い出す方です。主に立ち向かい立つ者、不法を行う者から救い出されます。

▪️契約を果たされる主への賛美。

18:49 それゆえ主よ私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。

 このように主がなさるので、主を褒め称えます。その業は、諸国の民に対してもなされる業であり国々の間で主を褒め称えます。

18:50 主はご自分の王に救いを増し加え主に油注がれた者ダビデとその裔にとこしえに恵みを施されます。

 主に従う御自分の王ダビデに救いを増し加えられます。彼は、主に油注がれた者であり、主の選びに与っています。彼は、主が契約に対する忠誠を子孫にまで施されることを確信していました。彼が主の前に御心を行う者であるからです。

 彼が力ある王として主の選びにかなって祝福を受けたのは、彼が主の言葉を求めその中に全き者として従っていたからです。